前回は終楽章の前半のみの演奏をお届けしましたが、今回も引き続きマラ9の第4楽章ついて書いていきます。第4楽章の最後の小節にマーラーはドイツ語で「
ersterbend(死に絶えるように)」と書き込んでおり、音楽の細い糸が静寂の中へ消えていく終結部はチャイコフスキーの交響曲第6番《悲愴》の最後を思わせるような表現です。
◆チャイコフスキー 交響曲第6番 第4楽章 終結部
ゲルギエフ指揮/マリインスキー劇場管弦楽団悲愴はロ短調の暗い和音によって締めくくられるので絶望に満ちた「死」のイメージが強いですが、マラ9の場合は変ニ長調の明るく柔らかい和音によって全曲が締めくくられます。
◆マーラー 交響曲第9番 第4楽章 終結部
バーンスタイン指揮/ウィーンフィルこれは「死」というよりは天に登っていくような穏やかな静寂ですね。マーラーの最後の微笑みとでもいいましょうか。
最後の部分は、弦楽器奏者にとっては緊張で弓が震えそうな場所です。音楽の細い糸を張り詰めた緊張感の中で紡いでいくことによって、単に「明るい」だけではない絶妙な演出効果が生まれてます。ウィーン・フィル(ウィーン国立歌劇場)やニューヨーク・フィルなど指揮者を務めオーケストラの心理まで熟知していたマーラーならではの表現かもしれません。
しかしながら、この部分というのは
家で聴いているとよく聞こえません(イヤホンで聴くならば話は別ですが)。マラ9を流していたら静かになっていつのまにか曲が終わってた、なんて経験のあるクラシック音楽愛好家は多いと思います。
結論からいってしまえば、こういう
静寂が力を持つ音楽こそ生で聴くべきです。巷ではよく「生オーケストラの迫力ある演奏をお楽しみください!」なんてキャッチコピーが使われることが多いわけで、フォルテがオーケストラ醍醐味のように捉えられがちなのですが、
生オーケストラの醍醐味は繊細なピアニッシモの音楽にあると私は思います。
演奏者としてより一人のマーラーを愛する人間として言っておきたいのですが、この作品に限っては
演奏が終わってすぐに拍手すると台無しになってしまいます。ホールに染みわたる静寂の中でそれぞれのお客がそれぞれの余韻に浸りながら、自分の周りにある死や生について思いを馳せる
最後の「沈黙」まで含めて一つの作品として味わっていただきたいと思います。
映画館で作品が終わった後に観衆がそれぞれの余韻に浸りながら椅子に座ったままでいる時の雰囲気に似ていますね。「感じ方は人それぞれだからすぐ拍手したっていいんだよ」という現代型の幼稚な正論は通用しない世界だと思います、「人それぞれ」に何かを感じるためにこそ必要な沈黙なのですから。
そういうわけでマラ9の終楽章を通して聴いてみましょう。皆さんはこの静寂の中になにを想うのでしょうか。
◆第4楽章
アバド指揮/グスタフ・マーラー・ユーゲント管弦楽団[追記]
第4楽章の最後の小節にマーラーはドイツ語で「ersterbend
(死に絶えるように)」と書き込んでいることに触れました。この記事に関して熱心な方から「実際の楽譜が見てみたい」というリクエストがありましたので、掲載させていただきます。

最後のゆっくりとした3連符のメロディを奏でるのはなんとヴィオラ!オーケストラをいつも影で支えている立役者に最後の花道を譲ったマーラーのニクい演出ですね。
【特集】マラ9を聴こう(全6回)・第1回「
終楽章から聴いてみよう」
・第2回「
沈黙のすすめ」
・第3回「
思い出は甘美で残酷である」
・第4回「
人は社会に踊らされ」
・第5回「
前略、大嫌いな貴方へ」
・第6回「
マーラーは人間である」
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